読みましたので感想です。今回はネタバレ多いに含みます。
今回はこちら↓
「子どもたちは夜と遊ぶ」著・辻村深月
本屋に行けば必ず置いてあると言っても過言ではないくらいよく見かけていましたが、タイトルと表紙で内容でミステリーではないのかなと思い込んでたので後回しになっていました。
ただ辻村作品は登場人物がスピンオフ的に出てくるものばかりなので、「スロウハイツの神様」を読了したのもあって次はこちらにやっと手を伸ばしました。
読了後の最初の感想
なんで今まで読まなかったんだ馬鹿野郎が
これに尽きた 笑
「子どもたちは夜に遊ぶ」上巻
まず上巻ですが、上巻の時点でずっと展開かテンポ良く広がっていくという印象でした。
序章に当たる部分でいきなり被害者の誰かの視点でことが始まります。
衝撃的にも目をマイナスドライバーで潰される…しかも被害者自らがどちらの目を差し出すのか選択までしてます。
この序盤で既に不穏すぎて「あぁこれはミステリー作品だったんだ」と知るわけですが、被害者も加害者もまだ序盤では全く不明です(そりゃそうだ)
さて読み始めると月子という魅力的な女の子や狐塚孝太、秋山教授や木村浅葱、石澤恭司など個性がしっかりしてる登場人物が続々出てくる。
てっきり主人公は月子なのかと思いきや物語全体はそれぞれの視点が切り替わる形で展開し始めます。
あら…これは叙述トリック系かしら…と疑う人が大半かと思いました。
私もそう思った。
ところがどっこいだ(古くてすまん)、あっさりと犯人は「i」なる人物とまさかの木村浅葱だとすぐ分かります。
浅葱視点になると次々とiとともに殺人ゲームをしていることがすぐ分かるし、それが展開されていく。
上巻の時点で浅葱がどうして殺人をするに至ったのかも動機はすぐ明確になります。
もう作者の手の内を見せられてる感覚で、え?これどう終着していくの??まだ下巻あるんよ?っていうのもあって先が気になります。
浅葱以外の人物の内情もとても豊かに表現されていて、月子の人間関係に対する考え方や捉え方が複雑だったり、孝太も優しい人物なのになんだか奥深くの内情まではっきりしない感じだったり、恭司も遊び人の割に人として考えてるところはしっかりしてんるんじゃないか…とか読者として惹きつけられ、考えさせられる部分も多い。
とにかくみんな思ったと思うけど「月子はなんでこんな片岡紫乃みたいな嫌なやつと親友続けてるんだよ!?」ってなりましたよね?ね?
でもそれも下巻に入っていけば月子がどう思って紫乃と友人関係を続けていたのかも見えてきます。
「子どもたちは夜に遊ぶ」下巻
殺人ゲームが進行していく中で急に浅葱に相談なしに「i」が犯行声明とも捉えられるwebページを浅葱たちが在学している大学や近辺大学のホームページにリンクを貼り、一連の犯行が同一人物のものだと世間に露呈します。
浅葱は何も知らないまま、兄であるiにただ会いたいためだけに心を磨耗させながら殺人を繰り返すわけですが、一体誰がiなのか?読者的にはもうそろそろ検討がついても良い頃なのでは…と思いながら読み進めることになると思います。
で、まぁ私も読みながら「おそらくiの正体が物語の最大の軸だよね」とは思ってましたが、これが不思議と全員が怪しいし誰も怪しく思えない。
半ばまで読んだ頃に次に相手(i)に殺させる被害者へのヒントなるものを浅葱が提示するわけですが、これが前回は人物名にはなかなか使われないであろう「蛇」だったにも関わらず今回は「川」というすぐ見つけられそうな漢字を指定するわけです。
なんで「川」なんてすぐ名前に含まれてる人を見つけられそうな漢字にしたのかは読めば分かるんですが、ここで気づく人は気づくよね…「そんなすぐ名前に入ってるのが見つかりそうな漢字を指定して、浅葱自身の身近な友人や大学関係者にいたらどうすんの?」
なりましたよね??
で、やっと気づいたんです。遅いと思うが。
あれ…?ちょっと待って?月子の苗字ってなんだっけ?
あまり他人に興味を持たない浅葱の中に少しずつ変化が出始めた月子という存在。
彼女の苗字に「川」はついてないのか?
あれ?月子って苗字の表記あったっけ?
ま、ここで気づくべきだったんですよね 笑
しかし気づかないアホの私…あとから考えればフラグやヒントはたくさんあったのにねー。
でもこの月子と孝太の関係性があとから響いてくるとは…だった。
ただ、この月子の苗字がはっきり分からない…の辺りから「浅葱の多重人格説」は実は私も気づき始めていました。
あまりにもiに当てはまる人物が居なさすぎる。
だけど双子だからiが犯行を犯すときはどう考えても浅葱と同じ風貌なのが分かる。
なのにiと思える人物が居なさすぎた…と思ったわけです。
(ちなみにミスリードとしてiの正体は恭司が当てはまりやすかったと思いますが、実は先に「本日は大安なり」を読んでいたので、メタ的に恭司がiである可能性は考えなかったんです 笑)
最後の展開
結局、iは上原愛子であり、冒頭に出てきていた被害者だったことが判明します。
愛子が亡くなってからは浅葱自身が自分の中にいたもう1人の人格がiを担うわけですが、浅葱の過去と性格を鑑みると仕方ないことかなと思いました。
確かにね、友人と呼べるであろう孝太の妹を襲い、月子が親しくしていた人物を手にかけておいて最後は捕まってないし、それを孝太が見逃すのは釈然としないところはあると思います。
ただ、私としてはそこまで釈然しないってことはなかった。
もちろん浅葱のしたことは許されるものでは決してないし、罪を償わなければならないと思います。
ただ浅葱にとって死刑や極刑、断罪されて刑務所の中で生きながら死に向かうよりも、自分の過去を背負ったまま世間体や対面を繕いながら(死んだように)生きていくことのほうがもしかしたら断罪されるよりも辛いことなんじゃないか…と思ったとこもあります。
解離性同一性障害のことは私にも詳しく分かりませんし、身の回りにそういった人もいません。
でもね、人間の心って重度の衝撃が加わると簡単に壊れるものだと思うんですよね…。
自分を守るための手段のひとつだったに違いないわけで。
そこまで追い詰められた浅葱の人生を思うと、唯一の心の拠り所が兄だったと思うと…。
しかもその兄は実際には自分が手にかけていたなんて事実を抱えて生きていかなきゃいけない。
今まで出会ってやっとそういう兄に変わるような存在になりそうだった月子を手にかけなきゃいけなかった心境や月子の真実を知った浅葱はそりゃ壊れるよ…と思いました。
でも先輩や紫乃の遺族を思うとね、複雑ではあります。
おそらく浅葱自身も自分は許される存在ではないとずっと思っていたしこれからも思い続けるんでしょう。
でも事件が解明されてしまった以上、自分で自分を手にかけることはもう出来ない気もする。
一度失敗してしまったから。
月子の紫乃に対する思いもすごく上手く描写されてるなぁと思いました。
相手が自分を見下してるなぁって感覚で分かる時ありますよね。
でも私を見下すことで自分の自己肯定感を保っていることに気づいた時、全てを分かっていてあえて自分は相手が持っていないものを持っていることを隠してその子との関係も継続する。
それってなんて性格が悪いんだろう、性格が悪いのは私の方だ…
ってめちゃくちゃ分かるんですよ。
結局相手を見下してるのは自分の方なんだよねぇ。
月子の描写を読んでる時に「子供たちは夜と遊ぶ」の前作が「冷たい校舎は〜」なのをどうしても思い出し、あぁ同じ作者の描く人物像だなぁと思いました。
どうしてこんな性悪女と友達やめないんだよ?って思うんだけど、そこには主人公なりの裏の思惑みたいなものがあったりするんだよ。それを主人公も自覚している。
しかも月子は最後にはそれすら忘れてしまうんです。
残酷だよねぇ。
まとめ
何度もブログでも書いてるけど、私はとにかく読むスピードが遅いんです 笑
だけどこの「子供たちは夜と遊ぶ」は特に下巻はほぼ一気読みでした。
ここまでずっと本が手放せなかったのは久しぶりかもしれません。
辻村作品は全部面白いけど、時系列では逆になるけど「かがみの孤城」ぶりにここまで早く読了したのはこれが初めてかも。
こういう出会いがあるから読書はやめられへん!
多分、次読むと良いのは「ぼくのメジャースプーン」かな?
このまま辻村作品を読むかもしれないし、また別の作家さんを読むかもしれません。
近々また本屋さんに行ってきます〜。
本は紙に限る… 笑