ライブとか本とか猫とか

ライブとか本とかの感想

【読了】「名前探しの放課後」辻村深月

上下巻ともに読了しました。

今回読んだのはこちら

「名前探しの放課後」著・辻村深月

辻村作品はご存じの方も多いと思いますが、別作品と世界軸というか時間軸というか…が繋がっています。

講談社の刊行順は↑なのですが、今回「名前探しの放課後」を読むにあたって「子供たちは夜と遊ぶ」「凍りのくじら」「ぼくのメジャースプーン」「スロウハイツの神様」は読了済です。

が、「名前探しの放課後」の直前に「ぼくのメジャースプーン」を読んでいます。

まず一言で言うなら…

めちゃくちゃ面白かった

ぶっちゃけ辻村作品でやはり一番は「かがみの孤城」で揺らがないのですが、「名前探しの放課後」はそれに次ぐ作品だと思いました。

 

なので感想は長くなります…!

読む順番が生きてくる作品

いきなり「名前探しの放課後」から読んでも全く問題ない作品だとは思います。

ただ、少し触れましたが”刊行済みの他作品を読むと倍増で面白い作品”です。

特に「ぼくのメジャースプーン」を読んだらすぐに読む方がいいです。記憶が鮮明な状態で「名前探しの放課後」を読むのが一番良いかと思います。

↓↓以下ネタバレを含む感想です↓↓

タイムスリップ(あらすじ)

主人公の依田いつかと友人の長尾秀人が2人で市内にあるジャスコの屋上から始まります。

が、始まりすぐで主人公が気づく。

あれ?あの看板って無くなったんじゃなかったっけ?

ジャスコから見えていた看板の存在に違和感を感じたところから、自分が約3ヶ月ほどタイムスリップしてることに気づきます。

3ヶ月前に戻っている。

タイムスリップする前の記憶にあったのが「同じ学校の誰かが3ヶ月後(前の時間で自分がタイムスリップした時点)に自殺する」というもの。

それを阻止すべく主人公を含めた数人が動き出します。

ミステリーであり青春小説であり…

辻村深月先生の作品なので、ミステリーであるというのは念頭からあったんですが、この「名前探しの放課後」は主人公を含めた登場人物たちの成長を描いた青春小説の部分が色濃く出ている作品だと思いました。

で、この作品は「ぼくのメジャースプーン」を読んでいるかどうかでガラッと見え方が変わってきます。

ネタバレ感想なのでそこにも触れていきますね。

読む前に登場人物の長尾秀人と椿さんが「ぼくのメジャースプーン」の「ぼく」くんとふみちゃんであるのは知っていました。

が、一応最後の最後で分かるようになってます。椿さんの名前が頑なに出てこなくて、最後の最後で秀人が椿さんに「ふみ、危ないよ」と呼びかける場面で「ぼく君とふみちゃんだ!!」って分かるようになってます 笑

ただ、それが分かってからまた読むと彼らのセリフひとつひとつが物凄く意味のあるものに見えてくるようになってるんです。

さらに一緒に名前探しをする仲間の天木や合間に出てくる小瀬も「ぼくのメジャースプーン」に出てくるんですが、この小瀬がねー…すっかり騙されましたよ…。

「ぼくのメジャースプーン」でぼく君(秀人)と喧嘩したトモなんですが、彼は作中でひどいいじめをしている人物として出てきます。

で、結果「自殺をするのは虐められている河野ではないか」という推理から、彼をいかにいじめ対象でなくなるか、いわゆる自殺の原因を取り除けるか?で主人公たちが動くわけですが、水泳フォームが無茶苦茶なことを小瀬に馬鹿にされたのがきっかけでいじめが常習になっているということで、水泳をいちから習い直そう!ということになります。

たくさん努力して泳ぎのフォームが改善されるのですが、それでも小瀬がいじめを辞めていない…という展開が待っています。

まぁそこまででもいじめの描写は結構ひどくって、私もすっかり「トモは小学生の時にあれだけの喧嘩を秀人としたにも関わらず何ひとつ成長していないんだ」って思ってました。

思ってましたよ…ええ!真相が明らかになるまでね!! 笑

真相は…

途中、主人公のいつかがバイクの教習所にハードスケジュールなのにも関わらず徹底して通っていたり、バイクの描写が割と出てきます。

ミステリーをそれなりに読み込んでる方には分かると思うんですが、私もこのバイクの描写に違和感を感じていました。

なので「恐らく自殺するのは河野ではない別の誰か」っていうのは気づいていて、そこにバイクが絡んでくるのも分かってました。

恐らく本当の自殺者はチームの中の1人かすでに登場している人物、というのも目星はついていて、私は何となく古瀬友春じゃないかと思ってたんですよね。

それが違った〜〜〜〜ここは辻村深月先生にしてやられた〜〜ってなりました 笑

ただ、最後の最後になるまで本人も「自殺をする人の心理は分からない」という感じなんです。まぁそれがミスリードにもなったと思うんですが、でも実際にそうなんじゃないかなと思ったりもしました。

「ぼくのメジャースプーン」でも描写がありますが、「人というのはそう簡単に自分の命を投げ捨てられるものではない」わけであり「人はどこまでいっても自分が可愛いもの」なんです。

でもそういうふうに前触れがなくても、本人がそう思ってなくてもある日突然そうなる。

そういうことに気付かされた場面でもありました。

ハッとすることが多い作品

この主人公の依田いつかが割と高校生らしい高校生で、まだまだ「人」がどうであるべきなのか、どういう心理を持っているのか、生きていくのはどういうことなのか…といった哲学的な部分には気づけてない若者です。

かといえば、ぼく君であった秀人と前作ですでに人より成長していた椿(ふみちゃん)はいわゆる「気づいている人」なんですよね。

天木と小瀬も小学生の頃から2人といた人たちなので恐らく「(少し)気づいている人」です。

そこの対象として主人公や河野やあすなが居るんだと思います。この対象がとても良かった。

秀人達と過ごして目標のために頑張っていく中で、いつかも成長していきます。そこの描写がとても好きだし本当によく出来てると思いました(上から目線ですみません)

冒頭から最後までの中でいつかが確実に成長し、元カノとちゃんと話をしたり水泳に戻っていく様はひと回り大きくなったんだと感じることができました。

そして最後の最後ですよ。

あすなに対する気持ちの真相はため息が出ました。本人も気づいてないんだけど、それを導き出したのが秀人っていうのもね…。

私はもうてっきり秀人はあの力を使うことは無くなったんだねと思ってました。

結構注意して読んでたんですよ。秀人のセリフは特に 笑

でも気づかなかった…これは巧妙な叙述だと思います。確かに言われてみれば魔法の言葉になってるんだよねぇ。秀人もそのつもりで発してないから後からビックリしてましたけど 笑

本当、秀人のセリフは二度繰り返して読むぐらい言葉ひとつひとつに「気づいてる人」だからこその重みというか意味というかが込められてる気がして、「あぁ、秀人だからこの言葉が出てくるんだぁ…」「ふみちゃんだからこのセリフが言えるんだ」って物凄く感じました。

他作品との関連と気づいたこと小ネタ

長くなっちゃったけど他に気づいてフフってなったとこも書きたい。

・天木のメールアドレス

アドレス出てきたとこはサラッと読んじゃったんですけど、「アドレスは誰かの名前のようだ」で気付きました…デーモン・アルバーン@ドコモじゃねえか! 笑

ぶちテンション上がりました〜天木お前ブラーが好きなんかよ〜〜〜 笑

からの私服のジャージの話で天木がUKロック好きなのも判明してますね。

こちらはちょっと分からなかったんですが…私はジャージ=オアシスのイメージが強い(何となくです)

・松永君とお姉さん?

「凍りのくじら」も読むと良いって言ったのは松永君が出てきたからです。

松永君は「ぼくのメジャースプーン」でも出てきますが、今回はガッツリと出てきてくれてます。

あすなとの会話の中で「『どこでもドア』があれば良いのにね」「『どこでもドア』?ドラえもんの?」でギャー!ってなりました 笑

そう、「凍りのくじら」といえばドラえもんだ!

あと名前は出てきませんが、クリスマスパーティの時に出てきたお姉さん?も。

写真撮影をし出した瞬間に気付きました。理帆子…!!たえさんも来てる…元気そうだ、と 笑

・ぼく君とふみちゃんについて

前述にもたくさん書きましたが、何より彼らが出てきて付き合っていて彼氏彼女という時点で本当に胸が熱くなりました。

何よりふみちゃんがとても幸せそうで、元気に話してて、やっぱりぼく君を大事に思ってるのがとても伝わってきて本当に嬉しかった。

この2人があの事件の後、こんなふうに笑い合って手を取り合えてるのが嬉しかった。

幸せになってほしい2人だったからこそ2人の活躍が見れたのは嬉しかったです。

・秋先生

秋先生が少しセリフだけで出てきてるのも最初に知ってたんですが、高校生になった秀人(ぼく君)といまだに会っていることにほっこりしました。

秀人は高校生になったけど、こうして相談できる大人がいることも嬉しかったです。今回の顛末の中でほんのり秋先生に相談してるのも分かって、信頼していることも見て取れました。

・チヨダ・コーキの作品

これは河野とあすなが楽しそうに会話しているのをいつかが見ている場面で出てきたのですが、あんまり本を読まないいつかが2人が手にしている本の表紙について「美少女の絵が描かれた表紙」と言ってます。

さらに2人に「チヨダ・コーキ読んだことないの!?」的なことを言われます 笑

で、で、出たー!!コーキの読者だったあああああ!ってなりました。いかにチヨダ・コーキが売れっ子の作者か分かる場面だったけど、これも「スロウハイツの神様」を読んでいるとテンション上がります。

やっぱりコーキの背景を知ってるからこそまた胸が熱くなる場面でしょうか。

まとめ

いつにも増して長くて最後まで読んでる人はいないと思う 笑

ただ、語りに語りたいほど本当に面白い作品だったということで…。

これ、多分読む人にとっては意味分からんかったりつまらないって人もいると思います。

ただ、意味分からなかった人、つまらなかった人たちへ。

もう少し…5年後10年後にまたどうか読んでみてほしい。

「ぼくのメジャースプーン」や他に挙げている作品を未読の方で「名前探しの放課後」がつまらないと思った方はぜひ上記の作品を読んでから再読してみてほしい。

大人になって、哲学的な意味で「人の心理」だったり「生きていること」や「人を想う気持ち」だったり「人の感情」だったりそういう部分に思いを馳せ経験し「気づくことが出来た」なら再読してみてほしい作品だと思いました。

かくいう私も「気づいている人」には遠く及ばないと思います。

だけどある程度の人生経験を積み、人との別れや壁にぶつかる経験をすることで少し気づいた「世の中の心理や真相や仕組み、人と人の感情や本当に大切なこと」

それが少しでも分かったかもしれない…と思ったら読んでみてほしいです。

私も完全には分かってません。

何となく分かったかもしれない…気づいたかもしれない、ちょっと目が向けられたかもしれないって思ったからこそ「名前探しの放課後」の本当に面白い部分に近づけた気がします。

大人になって再読したらまた気づきのある本なのは違いないと思います。

 

⦅補足⦆

感想を見返してて気付きましたが、河野が水泳が下手くそだったのも演技だったんでしょうか。おそらく本当は元々泳げる子だったのかも。

こはちょっと分からないんですが、いつかも河野もあすなのために芝居をずっとしていて、あすなの自殺の原因の根源でもあった水泳ができるようになるために水泳教室をしていたわけですが…スイスイ泳いでるところをあすなに目撃されちゃう場面があるんですよね。

あれももしかしたら河野がついうっかり泳いでるところを見られちゃった…のかもしれない。

そこの説明はなかったと思うけど…どうだったっけ? 笑

 

次は「光待つ場所へ」を読みたいところですが、少し辻村作品は一旦休憩して他の作家さんを読もうかなと思います。

今のところ手元にあるのは東野圭吾先生の「クスノキの番人」なのでこれ読みます。

あとはガッツリとミステリー読もうかなと。

また感想書きたいだけ書きに戻ります。

 

あ、ちなみに音楽の方ですが来月のストレイテナーサマソニラッシュボールはチケット取ったのでそちらの感想もおいおい勝手に上げます 笑