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ライブとか本とかの感想

【読了】「ぼくのメジャースプーン」辻村深月

いつも読むのが遅い私です。読みました。

今回読んだのはこちら↓

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「ぼくのメジャースプーン」著・辻村深月

前回、辻村先生を読んだのが「子供たちは夜と遊ぶ」だったので、それの次に読むと良いと言われている「ぼくのメジャースプーン」を読みました。

どうして次にこちらを読めば良いと言われているのか…超納得だった 笑

「ぼく」とふみちゃん

今回の主人公は具体的に名前が無く、終始一人称での「ぼく」で進みます。

「ぼく」には幼なじみのふみちゃんという女の子がいるのですが、彼女がとある事件に巻き込まれる…という展開から「ぼく」の復讐劇として展開していきます。

 

「ぼく」もふみちゃんもまだ小学4年生。

子供であるがゆえの心の純粋さを持つ「ぼく」と、子供と大人の間にいる大学生の犯人、そして小学4年生なのに周りの子たちより心が少し大人なふみちゃん。

確かにミステリーとしての作品なのだろうとは思うのですが、どちらかといえば心の成長や人の本質だったり、本当に心にあるものは何なのか?ということを「ぼく」ととある大人との会話で気づいていく…というヒューマンストーリー的なものを私は感じとりました。

 

秋先生と1週間の「能力」と「心」のお勉強

先述した”とある大人”が秋先生です。

この秋先生が「子供たちは夜と遊ぶ」に出てくる秋山先生です。

これは前情報で知っていたので、秋先生の登場には驚かなかったんですが「ぼく」の持つある能力を秋先生も持ち合わせている…というところから「能力」をどう上手く使っていくか?のお勉強を「ぼく」が秋先生から学んでいきます。

 

2人の会話はどちらかといえば、今作の犯人の心情はどういったものなのか…という推測から「人が本来持っている心の性質」までとても考えさせられる内容になっていると思います。

 

人は他人のために泣くことは出来ない。

誰か他人のために命を投げ出すことなど絶対にない。

人は何より自分が一番大切なのです。

誰かが亡くなった時に涙を流すのは、誰かの死を泣いているのではなく、その人を失って寂しい思いをする自分のために泣くのです。

誰かが落ち込み傷ついているのを嘆き悲しむのは、その誰かが傷ついている事を救えない自分の不甲斐なさに涙を流すのです。

 

ただただ人は傲慢なのです。

 

そういう話が展開していきます。

秋先生との会話の中で「ぼく」が犯人に復讐するのは果たして誰のためなのか?

ふみちゃんのため?

そこが最後に用意されているミステリー部分になります。

復讐するために使う「能力」についても予測を立てながら読み進める形になっていると思います。

「子供たちは夜と遊ぶ」のその後

秋先生の部屋には月子と思われるお姉さんが登場しています。

月子以外にも「子供たちと〜」の登場人物と思しき人が出てるんですが、秋先生以外は明確な名前表記はありません。

 

ただ、「子供たちは〜」では回収されていなかったフラグがなんとここで回収されているのです 笑

 

気づいた時は流石に鳥肌立ちました。

まさか作品を超えてフラグ回収してるなんて…初めてだわ。

前作で行方不明になった男子大学生がいてて、彼に秋先生が耳打ちで何かしら囁いたことで二度と彼は大学に現れなくなった…という過去があるのですが、作中では何を囁いたのか書かれていません。

それが「ぼくのメジャースプーン」でははっきりと明確に書かれています。

さらには「子供たちは〜」で血まみれになった月子を発見した時のセリフがそのまんま「能力」を発揮する言葉になっています。

その言葉を発した後の秋先生の心情も「ぼくのメジャースプーン」を読むことで全く見え方が変わるようになっています(実際に「子供たちは〜」を本棚から取り出して該当ページを探した)

 

まじか…辻村深月さん…あなた…脳みそどうなってんの!?!?ってなりました 笑

「ぼく」の覚悟

ここまで一連の学びの中で色々と感じたり考えたりして「ぼく」は一つの決断と覚悟を最終章で決めます。

 

この覚悟が、本当に…なんていうかね…私は泣きました。

きっとすでに経験を踏んで、ある程度考えが固執してしまった大人では気づけない哲学的な部分を小学生だからこそ「ぼく」が気づくことが沢山あったと思います。

 

読者としてはずっと「ぼく」はふみちゃんの為に復讐したいんだと思って読み進めることになるんよね。

でも「ぼく」が気づいて出した答えは、大人の私が読んでも「なるほど…」と納得せざるを得ないものでした。

それは人の本質的な部分に触れていると思います。

先述した「他人のために泣ける人間はいない」がずっと話の中心になっていると思います。

 

他人のために泣くのではなく、全ては自分のため。

 

それに読み始めた時は「そんな切ないこと言わないでよ…人間そんなに自分勝手じゃないよ、それじゃ物事の全てはエゴじゃないか」って思いました。

だけどそれも最後でちゃんと答えを出してくれています。

私にとってその答えはとても納得いくものでした。

きっと授業をしていた秋先生にも分からない問題だったんだろうね。

それを「ぼく」と出会ったことで秋先生も腑に落ちる答えを見つけたのかもしれません。

「ぼくのメジャースプーン」のメジャースプーンは悪意を測るもの、ということなのでしょう(これは感想を検索した時にどなたかが考察していました。超納得)

犯人が言っていた「何にも固執しない」「どうでもいい」といった考え方も結局は……で、これを書いちゃうとネタバレになるので控えます。

まとめ

何度も書いてますが、ミステリーの部類に入ってると思います。

だけどミステリー色よりもヒューマンストーリー的なものを感じる方が強い気もします。

「子供たちは夜と遊ぶ」を読んでからの方が倍以上に楽しめる作品になっていますが、もちろん単独でいきなり「ぼくのメジャースプーン」から読んでも楽しめるはず。

子供って純粋だからこそ悪意のない辛辣な言葉だったり平気で人を傷つけられるんよね。

でもその逆に子供だからこそ純粋に人を信じたりまっすぐな心で誰かを救ったり戦えたりする。

そういうのを改めて勉強させられた本だったと思います。

この次に読むと良いと言われている「名前探しの放課後」をすでに買ってきたので読み始めますが、この「ぼく」とふみちゃんが幸せな形で登場してくれることを願うばかりです。